【プロフィール】
1926年にアドリアーノ、ブルーノ、マルチェロのドゥカティ3兄弟の「ドゥカティラジオ無線特許科学会社」からスタートし、戦後のイタリア産業復興時期に自転車用補助モータの設計と製造を行っていたトリノのシアタ(SIATA)社との契約した。シラタ社は当時、48ccの4ストロークエンジンを積んだ自転車「クッチョロ(子犬の意)」が売れ行きがよく生産に間に合わなかった。1956年当時エンジン設計に頭角を現していたフェビオ・タリオーニが、吸排気バルブの開き側だけでなく、閉じ側もスプリングに頼らずカムシャフトで行う「デスモドロミック・バルブ・システム」をレースマシン向けに開発した。その後ドゥカティのブランド・イメージを決定的にした750cc2気筒90度V型エンジン「Lツイン」が登場し、マン島TTレース優勝で有名な「マイク・ヘイルウッド」等超一流のレーサーがドゥカティマシンで活躍した。
|